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    かけはし2021年3月1日号

天皇制賛美の「祝日」やめろ


2.11 大阪

「建国記念の日」反対集会

スガも維新もいらない!

命と人権を守る教育を



 【大阪】今年の集会は大阪市天王寺区民センターで、220人の市民を集めて開かれ、ズームにより参加した12人を含めると232人の参加となった。「日の丸・君が代」強制反対大阪が主催した。

府教長指示は
「静聴・斉唱」


始めに山田光一さん(「日の丸・君が代」強制反対大阪ネット事務局長)が主催者あいさつをし、「アベを引き継ぐスガは、新自由主義と強権政治を一層純化し、自らの権力と財界・大企業の利益を維持しようとしている。一方維新は新自由主義の立場から、医療・社会保障を切り縮め、感染者が比較的少ない日本でも医療崩壊の状況が生じている。大阪市には保健所が一カ所しかない。維新による病院・保健所統廃合の結果、大阪市は危機的な状態になっているが、それでも維新は、すきを見て政府批判のパフォーマンスを見せ、大阪都構想は二度も住民投票で否決されたにもかかわらず、万博・カジノに大金を投入するため、広域行政一元化条例案を持ち出し、コロナ対策に必要な検査はせず・医療崩壊に真剣に対処しようという姿勢を見せてはいない」、「昨年の入学式(6月)で『君が代』斉唱を指示した大阪府教委は、今年度の卒業式では、『君が代』の『静聴』・『斉唱』の2つを指示。そして留意事項では、国歌斉唱の可能性にこだわっている。多くの自治体では国歌の静聴、場合によっては国歌そのものの実施なしでも可能とする対応をとっているのに対し、府教委は、斉唱を選択する場合は現場の校長の責任で行うようにと指示している。まさに、生徒・保護者・教職員の命・健康より『君が代・起立斉唱』を優先するもので、看過できない。大阪では、2012年以来戒告64名、減給3名、訓告4名の処分が出ているが、この処分撤回と謝罪を求める」、と述べた。
続いて、纐纈厚さん(明治大学特任教授)が「拍車がかかる国権主義の果てに―“冷たいファシスト”菅首相の危険な罠」と題した記念講演を行った。以下要旨。

弾圧の元絞め
ある特高幹部


先月古希を迎えた。纐纈彌三という、戦中警視庁特高課長をしていた人物(纐纈さんの近著『戦争と弾圧』に出てくる)。彼は田中義一内閣の下で、1928年3月15日と29年4月16日の二度にわたる共産党弾圧の陣頭指揮を執った人物だ。侵略戦争に反対する社会主義者・共産主義者・平和主義者を徹底弾圧しなければ、戦争は出来ないと考えていた。
彌三は内務官僚であった。私の隣町にいた人物で、幼い頃会ったことがある。選挙運動の時、上から目線でお辞儀をしていたことを覚えている。彌三は戦後公職追放されたが、その後追放解除され、国政選挙に出て、衆議院議員を4期10年やった。政治家としてはほとんど無名の国会議員だったが、1966年の建国記念の日制定に奔走した中心人物であった。
彌三と紀元節の復活を画策した政治家はあまたいるが、彼の思想が当時の保守政権の中で重きを得ていた。国会でも野党議員からの批判に反論を重ねた。その内容はひどいものだが、保守の側がどう考えていたかを如実に示している。縮めて言えば、彌三のイデオロギーが建国記念のイデオロギーだということだ。彼は戦後なぜ国会議員になったのか。おそらく戦後も戦争に反対する人々を抹殺しない限り戦争は出来ないと思っていたからだろう。建国記念の日の背景にあるのは、戦争円滑遂行法(造語)だとおもう。3/15、4/16(二度にわたる共産党弾圧)は戦前だけの話ではないと思う。

静かなファシ
ズムと「国権」


アベ・スガは国家があって、その下に国民があるという国権主義者だ。私たちは戦争させない民権を憲法で担保されている。山口県ではアベイズムが横溢している。参議院選挙に出たとき、辻説法してみて痛感した。アベイズムはスガに受け継がれていった。最近のスガのやり口はまさに国権主義と同質で同根だ。7年半もアベが政権につけたのは、国権主義がはびこっているからだ。戦後清算されなかった国権主義がアベを首相の座に押し上げ、アベのブレーンたちがアベの口を借りて言わしめた。それが国民に受けたということ。その延長線上にスガがいる。学術会議会員の任命拒否は国権主義者としてのふるまいそのものだ。
アベの「戦後政治からの脱却」は、戦前日本への回帰だ。平和憲法体制を破壊し、新たな憲法をつくろうとした。
「神の国」発言は、森喜朗が神道政治連盟の場で(仲間内で)言った言葉だが、森の心の中には、日本は戦前と同じ神の国だという観念があると思う。纐纈彌三は、神武天皇は実在の人物と思っている。神話ではない。森の場合も神武は実在の人物と考えられる。おそらく、アベもスガも河野太郎にとっても神武は実在した人物だ。河野の中には韓国大使蔑視・アジア蔑視や優越意識がはっきりと感じ取れる。

「紀元節復活」
の意図は何か


彌三にとってはなぜ日本に建国記念の日が必要なのか。それは、日本が、神武以来天皇が統治している国であるからだ。そのことは、敗戦によっても変わることはない。神を中心とした祭政一致のまつりごとがずーっと続けられてきた。紀元節を復活させることで戦前の日本を取り戻すということ。35年目の建国記念の日、天皇の国として、その日がどのように制定されたのかを思わざるを得ない。靖国神社の国家護持の思想を持つ者は今もそのことを諦めてはいない。外国からは、日本は不思議な国だと思われているが、日本は天皇の国だから、うまくいっていると思っている人がいまだにいる。ころころ変わる権力者とは違って、天皇は不変の存在だという思いが、国の矛盾を覆い隠す。権力者の間でも天皇との距離の近さを競いあう。おかしな国日本。
日本は帝国になっていると思う。国内では差別を弾圧法で規制し、外国に対しては差別主義を全うしようとする政治姿勢が帝国だ。中国はどうか。覇権主義の中華帝国だ。
アベイズムは熱い、扇動的な、激しいファシズム。スガイズムは冷たいファシズム。官僚と一体化した政治だ。スガイズムは、国民の動員・統制・管理による政治だ。スガは、それにより自らの地位の向上につなげていこうという志向をもつ。日本学術会議の会員の任命拒否がその典型だ。だが、このような政治傾向は日本の特殊なものではない。米国のトランプイズム・独・フランスの右翼政党の台頭がその例だ。法治主義ではなく人治主義。今後、スガイズムは、小さな政府をめざすのか。中間層や低所得者層・非正規労働者を切り捨てて権力むき出しの国家に向かうのか。
私たちはどうする? 建国記念の日を制定した人物の政治的意図を再確認し、国権主義に異議申し立てをし、命・人権・平和を基底に市民社会を構築していこう。

不当処分を
はねかえす


奥野さん:人事委員会採決は支援学校での合理的配慮から不起立についてうやむや。現在裁判を準備中。減給処分について最高裁が棄却した部分については、人事委員会審理に訴える予定。
梅原さん:再任用拒否について、(健康上の理由を除き希望者の99・8%が採用されている)控訴して闘う。 
松田さん:人事委員会が戒告処分を承認したので、裁判を提起する。
増田さん:2回処分を受け、3度になったら免職のありうる状況を考慮し?、担任を外されている。
東京・青木さん:2003年通達から18年目。処分者は延べ490人。第五次訴訟を準備している。

連帯アピール
とデモ行進


連帯アピールでは、次の7団体からアピールがあった。
子どもたちに渡すな!危ない教科書大阪の会(伊賀さん)、子どもをテストで追い詰めるな! 市民の会(志水さん)、どないする大阪の未来ネット(寺本さん)、朝鮮高級学校無償化を求める連絡会大阪(大村さん)、森友学園問題を考える会(木村さん)、全日本建設運輸連帯労組関生支部(武谷さん)、コロナ生活補償を求める大阪行動(河住さん)最後にまとめ(寺本さん)があり、その後なんばまでのデモに出発した。
(T・T)

2.11 東京

「紀元節」と「天皇奉祝」に反対する連続行動

「国旗損壊罪」新設許すな

 2月11日、「紀元節」と「天皇誕生日奉祝」に反対する 2・11〜23 連続行動 は、天皇制を賛美する「紀元節」に抗議する集会(日本キリスト教会館)とデモを行い、90人が参加した。

「安倍政治」の
継承止めよう


「建国記念の日」(紀元節)は、1967年、自民党政権が神武天皇の即位によって日本が「建国」されたという天皇神話を天皇制民衆統合強化に向けてデッチ上げた「祝日」だ。連動して神武から数えて「126代目」とされる徳仁の誕生日を祝う日(2月23日)を設定し、新たな天皇制を演出していこうとしている。
コロナ禍において天皇制賛美行事が縮小・中止に追い込まれているが、天皇一族らはオンラインを駆使しながら菅政権や支配者たちの犯罪を覆い隠すための任務を担わんとたちふるまっている。日本会議、神社本庁など天皇主義右翼は「紀元節」の政府式典の復活、憲法九条改悪をねらいつつ安倍政治を継承して菅政権の強権化を加速させるために背後で動きまわっているが、ことごとく頓挫を繰り返してきた。このいらだちを産経新聞(2・11)は「『国民を守る日本』であれ」と叫び、「国家は国民を守るためにある。この基本的な認識が、現在の日本の政治には希薄なのではないか。」と恫喝し、代弁する始末だ。

民衆弾圧拡大
を許さないぞ


同系列の一つの傾向は、1月26日、自民党議員の「保守団結の会」(顧問・高市早苗)が「国旗損壊罪」を盛り込んだ刑法改正案を今国会に議員立法で提出をねらっていることにも示されている。高市は、(国旗損壊は)「国旗が象徴する国家の存立基盤を損なうばかりか、多くの国民が抱いている国旗への尊重の念も害する」などと「表現の自由」を侵害し、憲法違反を公言する。日本会議の自民党政調会長・下村博文は、会の申し入れを了解し、国会提出準備の着手に入った。
2012年に廃案になった「国旗損壊罪」は、「日本を侮辱する目的で日の丸を損壊、除去、汚損した場合、2年以下の懲役または20万円以下の罰金を科すとする」と明記していた。「日の丸・君が代」を強制し、あげくのはてに「国旗損壊罪」で民衆弾圧を拡大していこうとする自民党、菅政権の策動を許してはならない。

元気いっぱい
にデモ行進!


集会は、3・1朝鮮独立運動102周年行動、アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)、おことわリンク(オリンピック災害お断り連絡会)、即位の礼・大嘗祭等違憲差止請求訴訟・損害賠償請求訴訟から取り組み報告とアピールが行われた。
最後に集会宣言(別掲)を採択し、デモに移った。
デモは、高田馬場駅周辺一帯に渡って、「『建国の日』反対! 天皇制はいらない!『国旗損壊罪』の新設を許さないぞ!」のシュプレヒコールを響かせた。(Y)

 集会宣言

「紀元節」と「天皇誕生日奉祝」に反対する
2・11〜23 連続行動

 「新型コロナ」感染拡大によって追い込まれた菅政権は、「緊急事態宣言」の延長と同時に、「新型インフルエンザ等特別措置法」などの「改正」にあたって「違反者」への罰則や公表など、個人・私権に対する、人権侵害を伴う強権的な責任転嫁で取り繕おうとしている。こうした政策は、菅政権に対する人びとの怒りを増大させているが、他方でまた、これに便乗する「自粛警察」的な動向に対しても、「お墨付き」を与えるものとして機能するだろう。
公共施設の貸し出し停止など、「緊急事態宣言」の名の下に、またしても表現・言論の自由が制約されている。そのような日常の中で、私たちは今年の2・11反「紀元節」、2・23「天皇誕生日奉祝」反対の連続行動に取り組もうとしている。
2019年に強行された明仁退位・徳仁即位儀式をはじめとする「天皇代替わり」は、2020年11月8日の「立皇嗣の礼」を経て一応の終結をみた。しかし、「新型コロナ」状況は、「代替わり」によって新たな「体制」を作りだそうとする天皇一族のパフォーマンスに対しても、大きな制約を課している。新年の一般参賀に続いて、天皇誕生日の一般参賀も中止になった。新年のビデオメッセージや、オンラインでの「行幸」などがなされてはいるものの、明仁・美智子のような「平成流」の、徳仁・雅子へのスムーズな移行は困難である。その意味では、象徴天皇制は、ある種の「停滞」を余儀なくされている。
しかし、こうした時期においても、やはり天皇制の記念日は、日本国家に不可欠のものとして祝われ続けるのである。2・11「建国記念の日」―2・23「天皇誕生日」というふたつの記念日の近接は、このふたつの日を、我々の側から批判的に意味づける作業を不可避のものとする。「紀元節」は、神武天皇の即位をもって日本が「建国」されたとする天皇神話に基づく記念日である。それが歴史的事実ではないことは、誰しも認めることだろう。しかし、天皇として誕生日を祝われる徳仁は、「神武天皇から数えて126代目の天皇」であると、当然のように語られる。いうまでもなく、天皇誕生日は、かつては「天長節」として祝われ、「紀元節」とともに天皇の祭祀が行われる「四大節」の一つであった。その意味において、神権主義的な天皇と象徴天皇とは、矛盾なく接合されていくのだ。
そのことのもつ意味は、もちろん「皇国史観」の単なる復活なのではなく、「文化・伝統」という回路から、天皇制イデオロギーを「国民」に内面化し、統合しようとするものである。そしてそれは、「文化・伝統」の場面にとどまらず、現在の象徴天皇が果たしている政治的な行為をも、正当なものとして「国民」に受け入れさせることになる。
天皇の記念日は、天皇が「神聖」なものであるとみなす感性を再生産するものである。だからこそわれわれは、反天皇制運動の軸のひとつとして、このような記念日を拒否する闘争を続けていく。今年の2・11〜23連続行動に取り組むにあたり、このことを明確に宣言する。

2021年2月11日


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